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「映像授業はめんどくさい」とは?

「映像授業はめんどくさい」とは?

生徒と対話していて、ちょっと驚いたことがあった。「ビデオによる学習は、受けたくないから、やめてほしい」と私に訴えてきた生徒がいた。理由を尋ねると少し考えてから「めんどくさい」というシンプルな答えが帰ってきた。

   

予想しない返答だったので驚いた。「めんどくさい」ってどういうことか、私はその後、考え続けた。先生による対面授業と全く違うことは当然だが、映像だからといって、映像授業はすべて全面的に授業内容が面白くないわけではない。むしろわかりやすい場合も少なくない。タレントのような先生の授業もある。CGを使って美しい映像もある。聞き逃したり、見逃したりしたときは、反復して見ることができる。途中で止めて一休みすることだってできる。英語など、再生速度を0.8倍に遅くしたり、1.3倍に早めることもできる。

 

映像授業には、大きな欠点があると私も思っている。今話題になっている「アクティブ・ラーニング」とは全く相容れないことである。質疑応答すらその場ではできない。今指向している教育の方向性とは反対方向を向いている。しかし、その欠点にもかかわらず便利だから、高校生には人気がある。

 

「めんどくさい」という生徒の声はきっと、こうした映像授業の限界を簡単に表現したものであろうと私は考えた。教育は、その一部を映像に置き換えることができるだろうが、対面授業にとって代われるものではないことを生徒が訴えているのであろう。

 

確かに、教育のコスト面を考えると、映像授業は低コストである。DVDやインターネットで配信すれば、いくらでも生徒を増やすことができる。画一的の授業の最たるものである。 私は、インターネットのよる映像授業は最低限にしておき、一人ひとりと対話する中で生徒に影響を及ぼしていく教育に徹していくことが大切だと思っている。

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2016年08月05日 20:46に投稿されたエントリーのページです。

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