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生物に対する畏敬の念

「どうして殺していけないか」

生物は、細胞1つだけからできている「単細胞生物」と、たくさんの細胞からできている「多細胞生物」とに分けることができます。皆さんは、「単細胞」というと、きっと単純な生物だと思うのではないでしょうか。単細胞生物には、アメーバやゾウリムシや酵母やまた藻のなかまなどたくさんいます。これらの単細胞生物は、たった一個の細胞だけで生活するのですから、びっくりすようなすごい機能を持っているのです。細胞だけで比較すると、多細胞生物の細胞よりずっと複雑です。また、種類も豊富で色々な生物がいます。だから、単純な生物ではありません。

 一方、多細胞生物の細胞一つ一つは、決まった役割しかなく、比較的単純かも知れませんが、それらの細胞が無数に集まって、大変複雑な機能を発揮しています。一見小さな動物や植物に見えても、1つの宇宙に匹敵するようなすごいものなのです。

 このような、複雑ですごい仕事をする生物を人が見ますと、恐れの多い敬虔な気持ちになるのが普通です。ちょっと語句や漢字が難しかったかと思いますが、どんな小さな生物に対しても人は普通は、それを大切にしよう、壊してはいけないという気持ちになるものです。この感覚を「畏敬の念」といいます。

 ミミズや小さな植物に対してでさえ、そんな感覚になるのですから、もっと大きくて立派に見える生物、例えば、犬や猫または、大木などを見ると、その命は大切だという感覚が独りでに湧いてくるのではないでしょうか。人間は決して動物の頂点というわけではありませんが、心や感情については人が一番複雑なようですから、人間に対しては一番強い畏敬の気持ちが生まれ、大切に思う気持ちを持つのが普通だと思います。この気持ちが、「人を殺してはいけない」理由です。答えです。

 しかしそんな複雑ですばらしい生物であっても、棒でたたいたり、刃物で傷つけたり、または毒によって、実は簡単に死んでしまう、弱い存在なのです。その弱さのため、普通の人は、生物に対してますます強い畏敬の念を持つことになるのです。

 人間は、他の多くの動物にくらべるとより複雑な心を持っているようです。他の動物も心を持っていますが、きっと人間より単純かも知れません。ですから、そんな人間に対しては、命だけでなく、心や感情に対しても、大切にしなければならないという気持ちになります。これが他人をいじめていけない理由です。もちろん他の動物をいじめてはいけない理由も全く同じです。

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2015年08月25日 20:08に投稿されたエントリーのページです。

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