コミュニケーション力が不足しているというと、普通は何を想像するであろうか。多くの人の中にいると緊張したり、あるいは何か話さなくてはという強迫観念が生まれて、喋れなくなる場合をいうのが普通であろう。その先に不登校になったり、さらに「引きこもり」になったりするから、コミュニケーション力を養うことが緊急の課題とされるのだ。実際、ニートが社会問題とされて久しい。一般に、高機能自閉症(アスペルガー症候群)とはこうした人を指すと思われる。
最近になって、コミュニケーション能力の不足には、全く異なる態様があることが分かった。一見多弁であり、むしろ調子がいい。言葉もよどみなく出てくる。しかし、その内容が問題で、要するに信頼性がない。はっきり言えば、ウソが何の抵抗もなく言えるのだ。 本当のことつまり事実と違うことがすらすら言えてしまう。そうした人がいる。もちろん直ぐにウソだと分かってしまう。しかし、そんなことは全く意に介さない。
こうした人の場合、対話は一見よどみなく、コミュニケーションが成立しているように見えるが、実際は、相互理解という根本では全く成り立っていない。これも「コミュニケーション力」の不足といっていいように思う。
人は普通これを「虚言癖」という。しかし、本人はウソを一生懸命言おうとしているように見えない。これが問題だ。問題はその矯正方法であるが、本人の自覚が弱くまたかなり長い期間この話し方を続けてきて、ほとんど癖となっている。その人の人格となってしまっている。保護者も、子どもの話すことに信頼性がないことは理解しているが、直そうとはしていない。永年そのしゃべり方になってしまっているから、今から矯正することは相当難しそうだ。矯正には長い年月が必要だろう。しかし社会人になったとき、社会生活に支障が出ることは明らかだ。小さなウソをたくさんいうものだから、すぐにウソがばれても、全く平気なのだ。これでは矯正が難しいのもムリはない。
このような癖を持つ生徒にたいしては、事実を正確に伝えられるような話し方ができるように矯正したいと思う。自分に関係することも単なる客観的事実も正確に伝える能力をを養わなければならない。これは容易ではないことは明白で、これからが思いやられる。チャレンジだ。