今年の4月から、私の住んでいる町、八ツ又区の自治会長にさせられた。立候補なしに推挙されてしまった。会長として何をするのか全く分からないまま、始まった。実際には自治会長の仕事は極めて多く、僕ひとりではこなせないほどであることが分かった。実際、仕事を引退して自由になった後で引き受ける職務である。だから僕と妻のふたりでがんばっている。
昨日は、地域の道路舗装の為に、地権者などの関係者と役場職員に混じって、境界の立ち会いに参加した。なぜ自治会長がそこへ立ち会うのか、その必要性と意味はよく分からないが、書面上、自治会長印が必要とされている。立ち会いは、一種の証人としての役割であろう。そして今日は、市役所で全区の自治会長の会合がある。これに参加しなくてはならない。
本巣市に対する一切の要望や資金の支払いと徴収など、事務管理の便宜上すべて自治会長が窓口になっている。自治会長が、仕事に応じて班長や他の役員に伝達したり、割り振ったりする。これは、役場の事務の効率のためであろう。同じ論理で逆のことを考えるなら、本巣市の一切の窓口を、市長に一本化すると市民にとっては便利であろう。市への文書は何でも市長宛に出せばいい。しかし、ここはいわゆる縦割り行政である。また、やってみて分かったのだが、本巣市の姿勢は、地域からの要望で動くという姿勢である。この姿勢は全てにおいて最も重視されている。おそらく他の市においても同様であろう。
ところで、「八ツ又」という区名が気になり、調べてみた。八ツ又以外に、「三つ叉」や「四ッ又」又は「六ツ又」などもあることがまず分かった。おそらく、交通の要衝で三叉路や六叉路が地名の由来かと思っていた。しかし、ネットで調べてみると、ある古語辞典ではこのように解説されていることが分かった。
「やつまた」高倉の異称。高倉は高床式の穀物貯蔵庫。八つ俣、また、六つ俣の呼称は高倉が八本又は六本の円柱によりたてられることからきたもの。語形:やちまた、八股、八つまた、八つ又、八また、八ツ俣、八又。
交通の要衝か、高床式の穀物貯蔵庫か? 実際には、この八ツ又区は江戸時代はいわゆる天領で米作が盛んであった。一方でこの八ツ又区に限っては、おそらく戦前までは、養蚕業のための桑の木の栽培が盛んで、高床式の穀物貯蔵庫がどっかに有ったという伝承は聞いたことがない。しかし、揖斐川方面への道、中山道へ行く道、東海道へつながる道、高山方面への道、また長野県との間の峠を越える道など各方面へつながる道の交差点のように思われる。もう少し調べてみよう。