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地方の行政機関の「知性」とは?

地方の行政機関の「知性」とは?

人の知性について、茂木健一郎先生はブログの中で次のように表現されている。

” Today, a person's intelligence could be partly measured by the distance to nations, religions, and other established values. ”

 私もその通りだと思う。私は人の知性の中でも特に地方の行政における「知性」について考えたい。地方の活性化は、困難な状況が一層顕著になっているからである。この状況を打開するには、既得権団体から距離を置いて許認可の判断をすることが肝要だからである。

 地方の行政機関にも個人と同様に「知性」があるとすれば、その知性は、既得権団体などからいかに自由であるかによって測ることができるように思う。既得権者や団体の擁護を中心に考え、離れることが全くできないようでは、地方の行政機関としての「知性」は極めて低レベルということになる。現在はそのような状況に陥っているように思われる。

 この状況のままでは、東京一極集中はますます進み、地方との格差は広がる一方である。地方こそ、勇気を持って冒険すべきである。

 これは地方の行政を担う地方公務員の、個人的な知性が問題であるが、行政機関も組織であるから、この組織の知性というべき見識が重要だと思われる。このいわば集団的な知性が生かされるような行政のシステムと公務員の集団としての知性が重要である。

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2015年05月13日 20:38に投稿されたエントリーのページです。

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