桃李国際高等学院のスクールモットーの一つは、「ありがとう」、「ごめんなさい」がすっといえるように指導することである。そのため、未来高等学校に習って、ホームルームの時間に「サンキューレター」を書いている。また、お辞儀もきちんとできるように練習させている。この効果はかなり大きい。生徒は急速に大人びてくる。
その中ではやや難しいのは、「ごめんなさい」がすっといえるようになることである。抵抗感があるのだろうか、ありがとうは、声にでなくてもその気持ちは持てるようになるのにそれほど時間がかからないようだが、「ごめんなさい」はその気分にならないことがしばしばある。その気分が伝わるからわかる。「ありがとう、ごめんなさい」がいえるようになることは生徒にとって大きな成長である。こうした生徒の成長を見ることは、この仕事の一つの恩恵である。報酬である。
「ごめんなさい」は、ありがとうより声に出しにくいのは、心のどこかに、自分も悪かったが、相手にも何か非があると言う気がするからであろう。または、こちらが一方的に謝ってしまうと、後で負い目になることを、警戒していることもあるかも知れない。「ありがとう」と同じように、「ごめんなさい」がすっといえるように指導するには、心構えつまり、態度を変えることが必要である。だから、ありがとうより難しいのだろう。
このことは、一国のリーダーにとっても違わないようだ。安倍首相もいえない一人だ。「植民地支配」とか「侵略」を言いたくないのだろう。従軍慰安婦も南京大虐殺も触れたくない話題だろう。一国の総理の発言と、我々の普段の話し方とは全く別物という意見もあるかも知れない。しかし、私は基本は同じだと思っている。