名大関係者では赤崎勇先生と、天野浩先生の二人が青色発光ダイオードの開発に成功し、今年度のノーベル物理学賞を受賞した。21世紀に入ってからの日本のノーベル賞受賞者13人のうち、名大在籍・出身者は半数近くの6人に上る。近年の受賞者では、野依良治(01年化学賞)、小林誠(08年物理学賞)、益川敏英(08年物理学賞)、下村脩(08年化学賞)の4人の先生方が名大で学生時代や研究生活を送った(参考:ウイキペディア)。
「名大は旧帝国大の中では最も歴史が浅いが、近年の受賞ラッシュで存在感を示している」と新聞で報道されているのを読んだ。特に、天野先生は、赤崎氏先生の教え子で、83年名大電子工学科の卒業生で、私と同窓である。名大関係者でノーベル賞受賞者が排出することに私も誇らしく感じる。その当時の教授陣には、NHK出身者や、一般の企業で研究されて、名大へ来られた先生が少なくなかった。企業での経験がすばらしい功績に貢献しているように思われる。
閑話休題。
ある専門学校(岐阜県)の小論問題で以下の様な課題が出題されたことがある(2012年度一般推薦入試)。
------------------------------------あなたの心に残るノーベル賞受賞者を2人上げてください。
1 あなたが感銘を受けた理由を具体的に説明して下さい。
2 日本人の受賞は青少年にどのような影響を与えますか。あなたの考えるところを説明して下さい。
(2011年までの日本人のノーベル賞受賞者のリスト)
-------------------------------------この設問は、やや不明確な点があり、2人選んでその2人について下の設問1と2に答えるのか不明である。
私は、湯川秀樹と小柴昌俊先生にした。湯川秀樹は日本人として最初のノーベル賞受賞者であること、またノーベル物理学賞受賞者の中でも貢献度が特に顕著であると考えられることが理由である。
湯川秀樹については、物理学の専門分野だけでなく、漢学など極めて広くかつ深い教養を身につけていたことに特に興味を持つ。ネットで調べてみると、5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は洋学を学び晩年までずっとロンドン・タイムズを購読し続けた人物であるという。湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している(ウイキペディアより引用)。
もう1人の小柴先生については、「セレンディピティ」というキーワードとともに最も私の興味を引く。 カミオカンデで小柴先生は、陽子崩壊の現象をとらえる実験を開始した。しかしその検出はできなかったが、1987年、小柴博士は確実に成果を上げられる観測として、大気中の素粒子「大気ニュートリノ」の検出を試みはじめた。観測開始直後の1987年2月、小柴博士が東大を去る直前に、すばらしい幸運が訪れた。宇宙のはるかかなた、大マゼラン星雲で383年ぶりの超新星爆発がおき、それまでとはケタはずれに多量のニュートリノが地球に降り注いだ。小柴先生は、大変奇遇とも言える幸運に支えられて、ニュートリノの観測に成功し、ノーベル賞の受賞につながった(参考:ウイキペディア)。しかしその幸運をとらえるためには、それができる才能が必要だ。それがセレンディピティである。我々も偶然の幸運をとらえる力を常に養っておかなければならない。語学や数学などもそのためと言うことができると思っている。