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「日に三省す」を教師に絞って考えてみた

「日に三省す」を教師に絞って考えてみた

論語には、孔子先生でなく弟子の曾子の言葉もあります。論語の学而編4です。 通常行われている読み下し文は、次の様になっています。

「子曰く、吾れ日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。 朋友と交わりて信ならざるか。習はざるを伝えしか、と。」

この現代語訳を僕なりに書いてみます。  「曾子先生が言われた。私は毎日、何度も自分のことを反省する。交友関係で自分の利益のために人を利用しようとしなかったか、また不誠実なことをしなかったか、十分にわからないのに人に教えるようなことをしなかったか。」と。

 三省とは何度も自分と向き合うことを言うのでしょう。どこまで自分と真剣に深く向き合えるかが問題なのです。これができない人は、年を取っても全く進歩しません。退歩することも少なくありません。自分と深く向き合うことを、1日に何度も行うと言うことは、決して容易ではありません。曾子先生もずばりと明確に容易でないことをおっしゃったものです。もっとも、先生はそれができるのですから立派なものです。

 この言葉の意味を「教師」という立場に於いて考えてみました。  「まず第一に、生徒に対してその生徒の為を思って労力を惜しまず心から尽くしたか。面倒だからという思いがよぎり、手を抜いたような対応をしなかったか。また、教えるのに十分な学力がないのにその場限りに授業をしなかったか。下調べをしっかりしないで時間だけ持てばよいと言ったような授業をしなかったか。私は授業後に何度も自分の授業を振り返っている。」

 こんな意味ではないでしょうか。これができない教師は、教師失格ということになります。

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2014年09月18日 00:38に投稿されたエントリーのページです。

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