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先生として必要なもの

先生として必要なもの

数学や英語を淡々と教えることはそれほど難しくない。難しいのは、生徒体にヤル気の火をつけること、そして生徒の人間性をよりよい方向へ変えることである。「人間は変わることができる」と脳科学者達がよく言っている。しかし、生徒の性格や行動パターンを変えることは容易ではない。「君子は豹変す、下愚は移らず」と言う。また「三つ子の魂百まで」という格言もある。これらはいずれも変わることがいかに難しいかを言っている。このことを振り返ってみると、英語や数学の勉強を介して生徒に感動を与えることが容易ではないのである。先生としての力量が問われるところだ。

 このように、子ども達の学びの心に火をつけることは容易ではないが、もともと学ぼうとする意欲の強い子はいる。この生徒達は自分たちで勉強していく。自分で意欲を持っているからだ。こうした生徒の指導は比較的容易である。

 一方で、勉強の仕方を変えることも決して容易ではない。英語の勉強では、声に出して読み、ノートに書いてみて、目を閉じて暗唱したり、とにかく五感全てを総動員することが必要だ。このように説明しても、自分の勉強法を変えられず、ただ先生の文法的説明を聞くのが好きで、それだけで満足してしまい、その後自分で五感を総動員して文章丸暗記をする努力をしない。これでは英語は上達しない。声を出す習慣のない子は、授業では先生の指示で声を出すが、自分で勉強するときはおとなしいままだ。これでは勉強の効果が上がらない。

 勉強方法を変えることも容易ではないことについては、数学の勉強も同様である。定理や公式はよく理解して記憶する必要があるが、暗記しようとしない生徒が少なくない。高校数学までは、問題と解答をセットで覚えてしまうことが、問題を解く力をつけるのに必要であり、これだけでほとんど十分と考えられる。この覚えるという作業をしない生徒が多い。

 また、勉強計画の立案と作成も生徒にとっては容易ではない。これができる生徒は、上位の一部の生徒だけのようだ。だから、これは指導者の役割であろう。しかし、実社会に出た後を考えると、方法を考えて計画を練る力はリーダーとして必須の力である。フォロワーに徹するとしても、効率的に仕事をするには必要である。この力も学生時代に養いたいことだ。学校の勉強が役立たないと、実社会から言われないように、トレーニングをしておくべきだと思っている。

子どもたちの心に火を付け、学びへの意欲をかきたてることができたら、後は自分たちで勉強してくれるはずです。

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2014年08月16日 20:24に投稿されたエントリーのページです。

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