私が大学へ入学したのは当時は、1年次と2年次が「教養課程」で3年次と4年次が「専門課程」というふうに分かれていた。2年次には、ほんのわずかだけ専門科目の「講義」があったが、それ以外は全て教養科目であった。僕は工学部で理系のコースにいたが、教養課程の2年間は、電気電子系も航空工学へ進学する者も応用化学へ進学する者も応用物理系も全ての科の学生が区別なくクラス分けされていた。
教養課程の講義としては、語学や数学、心理学、文学、経済学、社会学、人文科学、体育など一般教養科目全てにわたっていた。僕が大学時代を送った1960年代ではまだ大学教育はエリート教育であり、エリートにとっては「教養」が必須と考えられていたのが理由であろう。その後、大学への進学率が上昇し、大学教育はエリート教育ではなくなり、1991年にはじまった教養課程の改組によって教養科目は必修ではなくなった。
そして、大学では1年次に入学するとほぼ同時にそれぞれの専門教育を受けるように改訂された。すぐに役立つ知識かすぐに実社会で求められる知識の修得が求められたからである。しかし、大学教育の大変革から20年以上が過ぎた現在、再び教養が見直されるようになった。実際、一部の大学ではあるが、教養は「リベラルアーツ」と呼ばれ指導されている。
この傾向は今後徐々に強化され継続されていくだろう。その理由の一つは、本当の専門教育は大学院へ移行すると考えられることであり、もう一つの理由としては、真に競争力のある産業をリードすることができる人材の養成には、幅広い教養が必須だとの考えが強まることが考えられる。
このことを高校での勉強に反映させて考える。まず前提として、高校3年間は大学への準備期間ではない。確かに、入試対策は、軽視することはできない。どの高校も公立私立を問わず、受験指導は最重視している。しかし、高校3年間が独立した重要な意味を持つことを考えれば、さらに大学教育において教養を養うことが軽視されていることを考慮すれば、この高校3年間こそ、教養を養う期間を考えるべきだ。すなわち自由な読書ができる期間と考えたい。
そこで、とりあえず自由な読書として、1年間に長編の文庫を10冊、新書などを20冊位を読むことを勧めたい。受験勉強と両立させることは十分可能だと考える。きっとかけがえのない高校生活となるであろう。