科学的に親子関係がDNA分析により高い精度で判明しても、民法の父子関係を認定する推定は覆されないという最高裁判決が出た。
この推定規定の法意は、生まれてきた子どもの利益を守ることにあるとされている。この法律の主旨は理解できるが、今回の最高裁判決には、血縁も育てる意思もあるにもかかわらず、推定規定を覆すことができず、従って法的な父になれない結論に割り切れない感覚が残る。
ここで、私は法律条文の「解釈の堅さ」すなわち柔軟性の幅が法律によってずいぶん差があることに疑問を持たざるを得ない。最も大幅にかつ比較的容易に解釈を変えることができると考えられているのは「憲法」のようだ。「解釈改憲」という熟語があるほどだ。
憲法については、時の行政担当者がかなり恣意的に解釈を変えることが可能である。それが可能なのは憲法のみであろう。
この容易さを「法の堅さ」と考えると、民法の条文解釈の堅さは「憲法」とは比較にならない位に堅い。おそらく最も堅いのは「税法」ではないだろうか。
私の感覚からすると、この堅さの順序は逆転しているように思われる。最も堅くあるべきで、従って条文を逐語道理に解釈すべきなのが憲法でなければならない。憲法の改定のための手続的条件が、他の一般の法律より特別厳格に定められていることはその現れである。
民法については、個々の事案をもっと柔軟に取り入れて、条文の解釈の「柔らかさ」を取り込んで判断した方が、現実の適合した解釈が可能であろう。一方の憲法については、そんな解釈をされることは全く期待していない。