私は韓国へ出かけることが多いが、印象的なのは韓国の若者のバイタリティである。勉強にかける情熱である。大学等への受験勉強の強烈さとそのための情熱は、韓国の友達や知人がもっとも頻繁に持ち出す話題である。また、韓国の学生が、混雑したレストランやファーストフード店の中でも懸命に勉強している姿は、象徴的でありきわめて印象的である。
一方、日本では、2009年当時においてすでに大学の定員の合計が、大学入学希望者数を超えていたそうだ。大学は、受験者を確保し学生募集で競争に勝つことすなわち生存競争で生き残ることが最大の関心事になっている。厳しい生徒獲得競争に置かれているためだ。従って、大学の制度改革と言えば、もっぱら入試制度の改革を意味し、いかにして定員割れを回避するかが最大の関心事になっている。従って、入試制度は、ますます複雑化している。
教育は、種々の産業界に人材を供給して、間接的に日本経済を支えるだけではない。教育自体が一つの産業なのだ。外国人留学生の受け入れはその一つの典型的な例である。しかしながら、外国人学生の受け入れでは、定員の一部を外人学生で埋めるといった発想に陥っている。留学生の質より量が優先されているのだ。グローバルに学生を集め、主としてアジア諸国の学生の教育に寄与するという本来の目的から、定員の一部を外国の学生で確保するという目的に置き換わっている。
我々は、高校生対象の教育を考える場合、定員を割り込まないで募集を成功させることは当然必要である。しかし、東大などの有名難関校への合格実績を目標とする予備校的な教育でなく、私学としての理想を追求したいと考えている。人格の錬磨と学力または技能とのバランスのよい人間の基礎を育てたい。特に一生勉強を続けていく人を養いたいと考えている。そんな原石のような学生に入学していただきたい。