裁判員制度について、裁判員に選任された人が悲惨な光景の写真を見て、大きなストレスを感じ、心身に大きな傷を負うことが問題となっている。強盗殺人事件の裁判員裁判で裁判員を務め、殺害現場の写真を見るなどして急性ストレス障害になったとして、福島県郡山市の女性が、国に二百万円の損害賠償を求めて訴訟が起こされた。その第一回口頭弁論が24日に福島地裁で開かれたことをテレビで見た。
原告によると、殺害現場のカラー写真や被害者が消防署に助けを求める録音テープを見聞きしたことで、吐き気や不眠に苦しむようになったとしている。原告は意見陳述で、裁判員を務めることを強制されたことが憲法で認められた二つの権利すなわち「職業選択の自由」、および「苦役を課されない」という権利が犯されたと主張し、裁判員制度は憲法違反であると主張している。
裁判員制度は、裁判の結果である判決が、世論と乖離してしまうことを防ぐために導入されたものである。また、この制度は、民衆一般の「民度」が十分成熟したと考えられることが条件としてあったと思われる。
裁判員制度の対象となるのは、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪などの重大な犯罪の疑いで起訴された事件とされている。
裁判員制度の制度趣旨すなわちこの制度の目的が、一般市民の民意を判決という裁判の結論に反映させることが目的であることを考えると、裁判員制度に乗せる事件を限定するべきだと私は考える。実際、もっとも民意を反映させるべき裁判の対象は、上に上げられている殺人や放火事件ではなく、収賄など国家公務員や地方公務員の犯罪、政治家の犯罪、教師の犯罪、さらに突き詰めれば、憲法上の権利が権力によって侵害された事件などではないだろうか。
このように述べると、そうした事件のみ扱うことは、憲法上の要請である「法の下の平等」に抵触するという批判があるだろう。もっともな批判であるが、一般市民の感覚を判決に反映させるメリットから考えると、「殺人事件」は制度趣旨にあわないと思われる。もっとも制度趣旨が、法曹だけに裁判を任せておくと、えん罪が増えて困るというのなら意味はある。