名古屋市東文化小劇場で井上ひさし氏作による「國語元年」を見ました。3時間に及ぶ長い芝居で、井上ひさしの名作と言われています。主人公の文部省四等出仕南郷清之輔が実際に生きた人のような気になりました。おそらく井上ひさしが、膨大な資料を読み解いて、元号が明治に変わったばかりの頃の時代を調べたのでしょう。そして虚実織り交ぜて創作したのでしょう。どこからが創作で何が歴史事実かよくわからなくなります。しかし、名古屋の演劇人の層の厚さとまじめさがよくわかるすばらしい舞台でした。
南郷清之輔が「全国統一話し言葉の制定」を命じられたことがことの発端ですが、本当に当時の文部省がそんな指示を文部省の役人に命じた事実があったのでしょうか。 新しく明治の世を迎えた日本を一つにまとめるために全国共通の話し言葉が必要とされ、その任務が清之輔に与えられます。南郷の家だけでも清之輔は長州の出身で、妻の光と義父の重左衛門は薩摩出身、十人近い使用人も江戸の山の手、下町、東北の遠野、名古屋など様々な出身者が集まっていて、なかなか意思の疎通が難しい。清之輔は「全国統一話し言葉の制定」のため共通の話し言葉を作ろうと奮闘努力しますが、いい方法はなかなか見つかりません。その奮闘の経過が、丁寧に舞台で示されます。結論を急がないでゆっくり清之輔の試みを一つずつ再現してくれますから、感情移入がしやすく、おもしろいのです。
舞台の転換方法がユニークでした。「暗転」がほとんど全くなく、舞台転換には写真がうまく使われていました。当時珍しかった写真を撮るシーンがたびたび出てきてそのとったばかりの写真をスクリーンに投影するのです。いいタイミングでスクリーンが天井から降りてきます。この方法なら、見ている方の感情移入が途切れません。暗転を繰り返すとそこで観客にとっては感情移入の途切れてしまいます。写真を撮るシーンがあり、できた写真を見せるという設定で写真をスクリーンに見せるのですが、何度とってもまともな写真が撮れません。スクリーンには、「○○の日」などと言った、コメントも写され効果を上げていました。こうした舞台転換はうまく考えたものだと感じました。