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結婚を「入籍」と表現することに違和感

結婚を「入籍」と表現することに違和感

結婚とほぼ同義に「入籍」と表現することが普通に行われるが、ぼくはこれに対しては、大いに違和感を持っていた。  むしろ、間違いではないかとさえ思っていた。それに比べて、英語の「marry」は比べものにならない位良い表現だと思われ、その語感の違いの大きさは、まさに民主制の普及の差が現れているような気がしているからだ。

はっきり言えば、「結婚」を「入籍」と言うのは避けたほうがいいと思う。やはり、結婚または婚姻と表現するのがよい。

 太平洋戦争前の旧民法時代は、夫の戸籍に妻が入るのが普通だった。これはまさに「入籍」だ。戦後に民法が改正され、夫の圧倒的有利な時代は終わった。それにもかかわらず、最近、入籍という語があまりにはやるので、驚くのだ。  現行の民法においては、結婚すると、二人で新たな戸籍を作ることになる。夫や夫の家の戸籍に入る必要はない。その時代が戦後既に68年ほど継続している。

 「私は○○さんと入籍しました。」というのがどうして、結婚報告なのだろう。 民法上重視される結婚が「事実婚」ではなく、「法律婚」であることを認めても、違和感があることに違いはない。

 一方、英語のmarryの持つ語感はすばらしい気がする。男から見ても、女から見てもこの人を「めとる」という感覚だからだ。「自分の妻にする」または「自分の夫にする」と極めて明確に表現しているからだ。

 この入籍という語をはやらせたのはどんな理由でどんな人たちなのだろうか。

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2013年06月10日 22:02に投稿されたエントリーのページです。

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