「もう一つの万葉集」イヨンヒ著(文藝春秋)をまた、読み返している。初版が出たのは1989年だから、既に四半世紀も前になる。これまで何度も繰り返し読んでいる。ゆっくり読めば、何度読んでも新たな発見がある。一回や二回では良く理解できないところが多いためだ。
万葉集の開巻を飾る雄略天皇の歌は、「妻問の歌」として知られているが、イヨンヒ先生はこの歌を雄略天皇(大泊瀬稚武天皇)の即位宣言としている。この解説の中で、邪馬台国について本文ではわずか2行だが、つぎのように記載されている。
「斯盧(さろ)国は、やまとの前進である邪馬台国を創建し、弥鄒忽国(みちゅほる国)すなわち沸流(びりゅう)百済つまり瑞穂国(みずほのくに)が山跡(やまと)を重建。おそらく新羅系の邪馬台国を、百済系の山跡国が接収したのでありましょう。」
今まで読み落としていたが、イヨンヒ先生によると、新羅系の「さろ国」が邪馬台国をつくり、それを後から百済系の山跡国が邪馬台国を接収した」というのだが、初めて聴いた説でびっくりした。 邪馬台国ができる時代に既に、朝鮮半島の新羅や百済が、この島国を支配していたというのだ。こんなこと言ったら、怒る人が多いのではないだろうか。 ぼくもこれを読んで驚いたが、今ではあり得ると思っている。