ルバイヤートの作者オマルハイヤームは詩人でありかつ数学者・天文学者であったと、ぼくはこれまで岩波版の「ルバイヤート」の解説を読んでそのまま信じていたが、昨日の放送大学の番組「数学の歴史」を見て、ルバイヤートの作者と数学者とは別人と考えられるようになったことを知った。講師の三浦伸夫先生(放送大学客員教授,神戸大学大学院教授)の説明から、イランの文学者タバータバーイーなどが、1991年頃から天文学者のウマル・ハイヤームと『ルバーイヤート』の作者ウマル・ハイヤームとは同名の別人であるとの説を唱えているというのだ。
「ルバイヤート」はぼくの愛読書で、その翻訳は数種類のものを持っている。日本語のもので最近入手できるもののすべてだと思う。この作者が、天文学者また数学者でもあったということがその厭世的な4行詩を魅力的にしてきたように思う。3次方程式の図形的な解法についての著作がある人が、いきなり「酒を飲め」といったたいへん分かりやすい4行詩を作るそのギャップがおもしろかったためだ。当時は、飲酒が禁止されていたから、勇気がいったことだろう。
インタ-ネットでさらに調べてみると、数学や天文学に秀で、セルジューク朝のマリクシャーに要請されて天文表作成に携わり、ニザーミーの『四つの講話』(12世紀)などに名前の挙がる天文学者・数学者は、正しくは、ウマル・ブン・イブラーヒーム・ハイヤーミー という名前であり、ニーシャープール出身であったことが分かった。
もう1人、同時代に、詩人として知られるオマルハイヤームの本名は、「ウマル・ブン・アリー・ブン・ハラフ・ハイヤーム」という人物であって天文学者とは別人だというのだ。
ヒジュラ暦8世紀(西暦14世紀)ごろには、このふたりの人物が同一視され、新たに「ウマル・ハイヤーム」という、詩人にして自然科学者である人物が産み出された、と近年では主張されていると、イランの文学者タバータバーイーなどが主張してことが分かった。 少し残念な気がしている。一方で数学や天文学の先端を極めた学者が、虚無的で極端に厭世的な詩を書き、そのギャップがおもしろかったからだ。詩人のハイヤームはどんな人だったのだろうか。