ぼくが、車の単独事故を起こし、足を怪我したのは1月24日夜であったから、既に50日位になる。やっと自分で車にも乗れるようになった。まだ病院には通っているが、普通の暮らしができるようになった。ずいぶん長かった。
この怪我の間は、普通に求められる義務を十分果たさなくても、みんなから大目に見てもらえるし、猶予期間をぼくはしっかり味わうことができた。
この気持ちを見事に表現した文章を、漱石の「切抜帳より」の中の「思い出すことなど」に見つけた。こんな文章は自分では書けないから、そのまま書き写させてもらう。ただし一部の漢字をひらがなにしたほか、旧仮名遣いを新仮名遣いにあらためた。
「ところが病気をすると大分趣が違って来る。病気の時には自分が一歩現実の世を離れた気になる。ひとも自分を一歩社会から遠ざかった様に大目に見てくれる。こっちには一人前働かなくても済むという安心が出来、向こうにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。そうして健康なときにはとても望めないような長閑な春がその間から湧いて出る。」
「のどかな春」は終わり、責任を十分に果たすことが期待されることは、しかし、多少うれしくもある。