今日3月11日は、東関東大震災から満2年になる。私は、2年前のそのとき、車の運転中で地震には全く気づかなかったが、そのときしていたことと結びついて明瞭の覚えている。
これからしなければならない廃炉作業や除染作業、そして津波で破壊された地域の復興など、気の遠くなるようなたいへんな仕事が続く。テレビではそうした影像を繰り返し流していた。廃炉作業として汚染物質の処理の方法が全く不明ということは、絶望的である。原発には希望はないといわざるを得ない。
私は、この2年間、「原発存続」と「原発廃止」の間でいずれに部があるのか決めかねてきたが、こうしたことを考えると、原子力発電は経済的にペイしないことは明らかだ。廃炉作業まで発電コストに加えるなら、原発による発電にはほとんど天文学的なコストがかかる。他の発電方法に比較して、全く不合理なほどコストがかかる発電方法だにといわざるを得ない。
国は、原子力発電に大きな未練を持つだろう。国が原子力発電にしがみついていたい原因または動機は公然の秘密といってよいだろう。発電コストが安いという説明は全く説得力を持たない。
今日は2年前の3月11日の影像をテレビをみながら、原子力発電は廃止していく以外にないだろうと思い、そしてその思いは徐々に確信に変わった。