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「受験力」は、学校だけでは付かない

推薦・AO入試でも、事は同じ

学校第一に考えている高校生は決して少なくない。特に中堅クラスの普通科の高校にそうした生徒は多いようだ。学校の勉強と成績が最も大切だと信じて疑わない。それ以外はほとんど無駄だと考えている。保護者の中にも同じように思っている人が少なくない。高3になって種々の模試を受けるようになってから少しずつ分かってきて、センター試験の直前になってやっとはっきり気づくのだが、既に手遅れである。

 学校だけで塾や予備校へ行かないで難関大学に合格するような生徒は確かにいる。こうした生徒は、学校には頼らず自分で計画して独学しているのである。学校の数学の授業がつまらなければ、同じ数学の「内職」という名の自学自習をやって力をつけているのだ。

ではどうして、学校だけを特に大切にし重視するのだろうか。  おそらくその原因の一つは、高校合格直後の説明会で、高校の先生から、「入学後は、塾や予備校など行かなくても我が校に任せていただければ、だいじょうぶですよ。学校の勉強だけで、受験難関大学でも合格できる力をつけますよ」などと高校側から説明され、その話をズーと3年間信じ続けているからかも知れない。そう説明するのは、生徒が塾や予備校へ通うと、放課後の利用等で学校側の自由が制限されてしまう。これを嫌うためであろう。または、他の塾や予備校の合格実績に自校の生徒名が掲載されるのを避けたいのかも知れない。

 学校での勉強だけ重視していても、とうてい受験に対しては不足だということが分かるのは、3年生になってセンター試験が直前に近づいてからのことが多い。学校の勉強さえしていれば、センター試験や、二次の筆記試験に対しても「合格力」が付くというのは幻想でしかない。

 中には、推薦入試やAO入試を考えている人も少なくないだろう。推薦入試を考えれば、学校の成績第一になるのも理解できないわけではない。しかし、学内で良い成績を上げるためにも、本当の実力をつけなければならないから事は同じなのだ。定期試験や実力試験で良い成績を取ることと、入試での合格力をつけることは本質的には違いがない。「スポーツ推薦入試」でさえ、学力が軽視されるわけではない。

 学校だけでは、合格力が付かないことを、英語で考えてみよう。  高校ではどんな英語の授業が行われているのか。英語の教科書は、三省堂の「クラウン」か、開隆堂の「サンシャイン」かまたは文英堂の「ユニコン」が多い。これらはたいてい10課~12課くらいで構成され、1課あたり平均800語くらいの文章を読む。8千語から1万語の英文を、1年間かけて読むことになる。確かに精読は大切であるが、それだけでは、センター試験に対してさえ、対応できる読解力や語彙力は身につかない。ある受験の専門家の話では、センター試験では、最低でも1分間に80語のスピードで読む力をつけないと厳しいと指摘されている。  センター試験の第5問などの長文問題は600語くらいである。これを7~8分くらいで読みこなす読解力が必要なのだ。これを速読力という。  難関大学の二次試験ではさらに高い読解力が求められる。こうした読解力は、教科書を用いた訳読中心のゆっくりした授業では、とうてい身につくとは考えられない。

 また数学は、教科書のレベル差が激しい。教科書レベルがセンター試験のレベルに達していないものもある。その教科書でいくらがんばっても「受験力」が付かないことは明らかである。生徒が知らされないから分からないだけである。学校で使用している「傍用問題集」のレベルも同様である。センター試験レベルには届かないものから、難易度の高い大学受験に対応できるものまで、その幅は広い。 高校受験でそうした経験を持たず高校に入り、その後説明もないから知らされていないだけである。

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2012年12月24日 18:34に投稿されたエントリーのページです。

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