「若者の読書離れが進んでいる」としばしば指摘されているが、そうした傾向は真実であろうか。そうした傾向を客観的に示すデータは決して多くなく、結論を導くことは容易ではなく、また危険も大きいと考えられる。また、そうした傾向を考えるとき、過去のいつ頃と今を比較すればいいのかも問題であろう。昭和初期か、昭和20年代か、いつ頃の若者と、今の若者を比較するのが良いのかが難しい。
文部科学省の「社会教育調査」には、漫画を除く雑誌や本の一日あたりの読書時間のデータがしめされている。データとして示されているのは、1995年と2010年頃のものである。しかし、その間の15年の間で比較すればいいのかは疑問である。もっと長期間の比較が必要だと思われるからだ。しかし、その調査結果として示されている「公共図書館の帯出者数」と「貸し出し冊数のグラフ」から見る限り、あらゆる年代層を考えた場合には読書離れは起こっていないように見受けられる。特に10代の若者に限れば、読書離れは起こっていないと結論づけることができる。 しかし、「社会教育調査」の結果によると20代にの成人の読書時間は、2005年には一日あたり12分から2010年には8分程度に読書時間が急速に減少していることがわかる。若者と言っても10代と20代では大きく傾向が異なるようだ。このことから、読書離れが起こっているのは、20代以降の大人かも知れないのである。この原因は、インターネットの普及に求めることができると考えられる。 「若者の読書離れ」として問題視することがおおいが、本当に問題と考えているのは、若者ではなく大人の読書離れであり、その読書傾向として「ケイタイ小説」のように読みやすいものだけに傾く傾向を言っているのではないだろうか。漱石や鴎外といった明治の本格的な小説または、評論文の読書離れを言っているように思われる。やや難しいものに変わって、平易で読みやすい文章が求められ、置き換わっていることが問題だと思われる。