« 究極の「いじめ」対策、勉強でダントツ一番になれ! | メイン | アゲハチョウ幼虫飼育記(3) »

ブラジルのサッカーと慰安婦問題

ブラジルのサッカーと慰安婦問題

最近、サッカーの人気が野球を追い越しているようだ。特に「なでしこ」の活躍が注目されてサッカー熱の熱源になっている。オリンピックで銀メダルを獲得するなどすばらしい戦績をあげている。

 

 私が最近になって始めて知ったことがある。始めて知ったこととは、ブラジル等のサッカーにおいては、フェアプレーの考え方自体が絶対ではないということだ。私は、スポーツにおいては、フェアプレーの精神は何より重要で絶対的だと思っていたが、ブラジルなどラテン世界のサッカーにおいては、フェアプレーの精神よりも敏捷に危機を切り抜ける智恵が重視されているそうだ。オーバーに転んで見せたり、審判から見えないように相手のシャツを引っ張ってみるなどに現れている。これを「マリーシア」(狡猾さ)と言うことも最近知った。

 すなわち、ファウルも技の一つであり、選手や審判とのずるがしこいかけひきもゲームの大切な要素とみなされているのだ。フェアプレーをどの程度重視するかについては、文化により相当な相違があることになる。  実際、ブラジルの選手が審判にくいさがるのは、抗議ではなく懐柔または作戦の一つなのだろう。また、審判が象徴する正義も絶対的なものでなく、交渉によってどうにでもなると考えている。正義と不正の概念も相対的であって状況に応じて変化すると考えられている。

 ところで、最近の韓国や中国との領土問題のかけひきで、韓国の李明博大統領の発言や行動を見て、これも一種のゲームかと思った。ひょっとしたら、慰安婦問題で日本の謝罪を求めているのも、長期にわたる作戦の一つかと思われる。私も、謝るべきはしっかり謝ることが大切だと思っているが、こうした作戦を「懐柔」だと思って、冷静に対応していくことが大切であろう。

 我々が考えるべきは、しばしば引用される西ドイツのワイツゼッカー大統領が述べたことにつきるだろう。ワイツゼッカー大統領は、戦後40周年を記念した演説「荒れ野の40年」で、戦前のドイツを批判した上で、「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」と語っている。(岩波ブックレット「荒れ野の40年」、および「ワイツゼッカー演説の精神-過去を心に刻む」永井清彦著、岩波書店)

 我々の先祖が犯した罪に対して直接責任がない私たちが謝るべきか、ぼくはずーっと考えてきたが、このワイツゼッカー大統領の言葉にその答えがあるようだ。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://tesacademy.jp/mt/mt-tb.cgi/215

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2012年08月23日 23:08に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「究極の「いじめ」対策、勉強でダントツ一番になれ!」です。

次の投稿は「アゲハチョウ幼虫飼育記(3)」です。

Powered by
Movable Type 3.38