「天才は1%のひらめきと99%の努力」 (Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.) というエジソンの言葉は、努力の重要性を主張する格言として知られている。しかし、エジソンが実際に述べたのは「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄である」との意味だったそうだ。最近になってそのような説明がされていることを知った。
しかし、その話を聞いても、私は従来の説明の通り、エジソンの言葉を努力の重要性と考えておきたい。強いて言えば、「たいへんな努力と集中を経ないと、わずかな閃きさえ生まれない」そのような意味に考えておきたいのだ。 先に「閃き」が必要とされたら、救われない気持ちになるからである。努力で、閃きが開発できるものとしておきたいのだ。
数学の教師として指導する際、分かりやすい指導法、ヤル気を鼓舞する方法など、成績を上げ、志望校合格に結びつけるために教師に求められる条件は明らかに存在する。実際、教師の役割はたいへん大きく、生徒に多大な影響を与える。しかし、そうしたことはあくまで、教師個人の能力であって、教師と特定の生徒の間でだけ起こることなのだ。学校や塾の単位では決してない。また優秀な教師であっても全ての生徒にそうした指導力を発揮することはむずかしいと思われる。その意味で、教育は極めて個人的なものなのだ。 優秀な教師とそれを受け入れる優秀な生徒が対面したときに、すばらしい成果を発揮するのだ。しかも、教師の役割は限定的であって、生徒が自らが努力しなければ、その先へ進んでいくことはむずかしいといわざるを得ない。限界があるのだ。ぼくが生徒に求めたいのは、あきらめないで、たゆまず努力することだ。今、自分に求められている努力の対象に向けて、がんばり続けることだ。そこに「こだわる」こと。「こだわりを持ち続けること」が最も大切だと思う。徹底的に「こだわること」がジーニアスの条件だと思っている。