私の読書は、ほとんどが仕事のためである。つまり、仕事に必要な情報収集と自分の勉強のためだ。自分の勉強と言っても仕事に結び付いているので、数学や小論文の授業を豊かでおもしろくするための情報収集である。生徒が持ってくる種々の質問に対して、適切で的を射た応答と指導をするための読書である。主目的は情報収集であるから、本を読むことに対しては、かなりどん欲であり、余裕がない。だから、ハートウオーミングな小説とか、推理小説などは全く無縁である。ほとんど読んだことがない。
ぼくの周りには、釣り、ゴルフ、カラオケ、トレッキングなどの趣味を仕事の他にもう一つの生活としている人が少なくないが、ぼくにはそうした趣味がない。全てが大なり小なり仕事に結びついている。寂しい気持ちも全くないわけではなく、少しは苦痛に思うこともあるが、そうしているときが一番落ち着くので、普段はおおむね楽しんでいる。読書と言うより、仕事に関連する情報源収集である。仕事に関係するというと、まず授業を豊かにするための、数学、英語、古典など大学受験レベルから大学程度の本から授業のネタを探すのだ。
長い間、恥ずかしいことだと思っていることがある。ぼくはまだ、ゲーテの「ファウスト」を読んだことがないのだ。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」もまだだ。このまま死ぬわけにはいかない。仕事のための情報収集としての読書からちょっと卒業できて、クラシックを楽しめるようになるまで、将来の楽しみとして取ってある。
周りを見回すと、ぼくが仕事に対して持っている情熱に比較して、仕事に対しては冷めている人もいる。そうした人が徐々に増えているかも知れない。仕事に対するインセンティブが少ないのだ。こうした人たちは、教育者としてはもっとも必要な資質に欠けるといわざるを得ない。このような人が教育の現場にいることは、生徒にとってたいへん迷惑である。こうした先生は、速やかに排除されるべきと思っている。