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「自分が行けるところへ行ければよい」は、努力放棄に過ぎない。

「自分が行けるところへ行ければよい」は、努力放棄に過ぎない。

「先生、ぼくは無理をしてまでむずかしい高校(大学)に入りたいとは思わないです。自分が楽に行けそうな所へいけば、それでいいです」

このように言う生徒は、決してめずらしくないように思います。

 

 確かに、合格の難易度を偏差値で表し、高校や大学を偏差値で輪切りにして序列化することは、ナンセンスです。また、これも一種の「知足の境地」と考えて、その境地はほめられるべきと考える人もいるかも知れません。

 しかし、この場合はそうではありません。上のように言う生徒は、何かの見識があって言っているのではなく、単に努力するのがいやだから言っているに過ぎないのです。勉強するのがいやだといっているにすぎません。単なる怠慢か甘えです。

 また、こんな場合、保護者の中には、「うちは本人に任せてありますから」と仰る人もありますが、これも単なる責任逃れにすぎません。

 

 中学生や高校生の間は、保護者は生徒にアドバイザーとしてしっかり関わるべきです。そうしないのは責任逃れまたは怠慢に過ぎません。私は子どもが20歳くらいまでは、親は常にアドバイザーとしの役割を果たすべきだと思っています。この姿勢と、子どもを一人の人格として認めることとは全く別のことです。

 学生は、受験に限りませんが一生懸命勉強すべきです。将来、社会の一員として社会に迷惑をかけないで、むしろ社会に何らの貢献をしていくには、勉強することがどうしても必要だからです。勉強の目的は、柔軟性とスキルを身につけることにあります。コミュニケーションが成り立たない大人は、はた迷惑です。そんな人は決して珍しくありません。私たちも、毎日の授業で、勉強の必要性を一生懸命伝えていきたいと考えています。

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2012年05月25日 14:33に投稿されたエントリーのページです。

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