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子どもは自然、個性は千差万別

子どもは自然、個性は千差万別

養老孟司先生の子育て論を読んでいる。養老先生はたいへん頭のよい先生である。主著の「唯脳論」も以前読んだが、養老先生には全てが見通せるようだ。それだけでなく、この先生の目や心に浮かぶ状況を達意の文で書かれるから、目から鱗といった感想を何度も受けた。

 子育て論の冒頭は、このような説明から始まる。 『世界を大きく分けると、「人間が作った世界」と「作っていない世界」、つまり「人工」と「自然」分かれます。子どもはどちらに属するかというと、「自然」の世界なんです。子どもが扱いにくいのは、子どもが自然の側に属しているからです』

「子どもは自然だ」ということは説得力を持つ。納得する。しかし、「自然」であるあからといって、他の動物の子ども時代のようにどの子もほぼ似たものとはいかないから私たちもたいへん苦労するのだ。人間を犬や猫と比較すると、それだけで「けしからん」と思われる人もいるであろう。しかし、「自然」というからには、他の動物と比較することが許されるだろう。猫を私は長年にわたってたくさんから飼育しているから、猫についてはベテランである。猫を見ていると、子猫の時代から個性はあるが、それほど大きな個体差はないように見える。ほとんど、似た行動をする。

 これに対して、人は幼児期から学童期まで個性の差がたいへん大きい。高校生になるとどの子もたいへん個性的である。20歳くらいまでに個性が決定してくるようだ。大勢の人の中に入ると緊張して疲れてしまう生徒もいれば、年上で目上の人に対しても全く躊躇することなく大声で話せる子もいる。中には嘘を言う生徒も出てくる。大勢に中にいることが楽しい人と、緊張して苦しくなってしまう生徒がいる。これが「自然」といえば、そのような気もするが、他の動物とは全く異なる。自然界にたくさんいる昆虫や鳥類などに比較して、その個体差(個人差)が人間に限って大きすぎるから、私たちが指導する上で苦労するのだ。

 私の周りの多くの生徒達を考えてみると、個性が確立してくると、それ以後はあまり変わらないのが普通である。一方で、人は変われるという。人が変わることができることを私は信じているが、本当に変わることができる人は、優秀な人だけのような気もする。まさに諺に言う「君子は豹変す、下愚は移らず」が現実ではないだろうか。

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2012年04月28日 14:50に投稿されたエントリーのページです。

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