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「峠の万歳」の詩情

「峠の万歳」の詩情

昨日は、「春の踊り」を岐阜の文化ホールへ韓国の友人ユンさんと一緒に見に行った。とくに「峠の万歳」について、太夫と才蔵の関係があまりに親密で、まるで恋人同士か夫婦のようで、仕事上のビジネスパートナーとしての間柄とは考えにくいという印象を与える。確かに現代人の我々には違和感を持つのが普通ではないだろうか。実際、ユンさんは、「二人の関係はゲイなのか?」とぼくに質問した。

最初に日舞の「峠の万歳」について少し説明をしておこう。峠の万歳は、三河万歳が題材になっている。江戸の初頭、将軍であり三河出身でもあった徳川家康が、芸人たちに江戸城内で演じることを許していた唯一の万歳が三河万歳であった。 新年の祝として、えぼし姿で家の前に立ち、祝いの言葉を述べ、鼓を打って舞う「太夫」と、太夫につき従って、一緒に仕事を行う「才蔵」の二人が登場する。太夫と才蔵は人名でなく漫才の役柄である。漫才も今のスタンディングコメディではなく、獅子舞の親戚のように思えばよいのではないだろうか。正月に町々を回り、正月の漫才の仕事を終えると、太夫と才蔵はそれぞれの故郷へ帰って行くのであるが、三河へ帰る太夫を峠まで見送りに来た才蔵は太夫に対し、「来春の「才蔵市という才蔵役を選ぶ面接会場でも私をご指名下さい」と願う。太夫はそのを約束して、来年の正月までの別れを惜しんで酒を酌み交わし、三河万歳の一部を舞う。そうしているうちに夕暮れとなると、いよいよ別れの時が近づく。  この別れのシーンがオーバーだというのだ。いくら「相棒」のように親密になっても、この舞踊に現れるほどウエットになるのはおかしいという、疑問がわく。いくら戦友のようになっても現代人はもっとドライではないだろうか。

私は二人の心情をぼくは次のように理解している。いったん分かれたらその後の消息は分からず、また三河への道中を考えると種々の危険があり、先が見えない不安が二人にあって、別れを惜しんでいるのであろう。そういう状況なら二人の心情が理解できる気がする。そこで思い出すのは、李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(こうかくろうにて もうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)という漢詩である。

    故人西辞黄鶴楼 (こじん にしのかた こうかくろうをじし)

    烟花三月下揚州 (えんか さんげつ ようしゅうにくだる)

    孤帆遠影碧空尽 (こはんのえんえい へきくうにつき)

    唯見長江天際流 (ただみる ちょうこうの てんさいにながるるを)

    「旧友の孟浩然が西の方の黄鶴楼に別れを告げて、春霞の三月、舟で揚州へ下っていく。一艘の帆掛け舟が青空に消えて、揚子江が天のはてに流れていくのが見えるばかりだ」

孟浩然と李白の二人が酒を酌み交わし、孟浩然が乗った船が見えなくなるまで李白が見送るというシーンである。この詩情と重なるのだ。二人は決してゲイではありませんよ。

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2012年04月09日 13:53に投稿されたエントリーのページです。

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