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万葉集の疑問

万葉集の疑問

いま、関裕二氏の「なぜ万葉集は古代史の真相を封印したか」という新書を読んでいる。万葉集が編纂された時期について明確ではないが、天平時代の西暦750年~780年頃とされている。一方、紫式部により源氏物語が書かれたのは、紀元1000頃である。つまり、万葉集の編纂されたときより250年くらい新しい。ぼくは、万葉集が好きで、10年以上にわたり、読み続けている。しかし、どうしても腑におちないことがいくつかあるのだ。疑問に思う点は3つほどある。

その第一は、近代の日本語または現代語との距離感である。万葉集に納められている歌のいくつかは、1000年頃の源氏物語や枕草子などと比較して、その編集されたのは約250年くらい前なのに、現代語との距離感が源氏等の平安文学より近代に近い感覚を持つのだ。 たとえば、柿本人麻呂作「東の野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」などは、どう見ても源氏より現代語に近い。明治文学と行っても良いくらいだ。  「田児の浦ゆ、うち出てみれば、真白にそ、富士の高嶺に、雪は降りける」 これは山部赤人の歌であるが、これも、少なくとも源氏よりは現代語に近い印象を持つ。 こうした例は、少なくない。つまり現代語との距離感が平安の文学や、その後の平家物語、吉田兼好の徒然草など中世の文学と比較しても現代語との距離感に違和感を持つ。これが疑問の第一点である。

 

もう一つの疑問は、難訓歌の存在である。その典型例は、額田王の「莫囂圓隣之大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本」である。色々説はあるが、定説はないようだ。まともによめていないといわざるを得ない。いったい、1200年~1300年くらいで、ほとんど意味不明になることがあるだろうか。解読が不可能となってしまうことは大きな疑問である。同様に「枕詞」についてもほとんど意味なしとは変である。

もうひとつ不思議なのは、いきなりその巻一が「雑歌」から始まることも不思議だ。雑歌は最後に残ったものを集めるのが普通だろう。  これらの疑問題解決できないでいる。

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2012年03月31日 14:54に投稿されたエントリーのページです。

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