日本人の学びに対する意欲の減退、その結果の知性の衰退、または日本人が今急速に劣化としていると主張する著者達の著作が多い。そのいくつかの例を挙げてみる。
「なぜ日本人は学ばなくなったのか」 (講談社現代新書) 斎藤孝
「なぜ日本人は劣化したか 」(講談社現代新書) 香山リカ
「日本人はどこまでバカになるのか―「PISA型学力」低下」 (青灯社) 尾木直樹
「知の衰退」からいかに脱出するか?」(光文社) 大前研一
「劣化したか」や「どこまでバカ」などかなり激烈な言葉が使用されているものも少なくない。それだけ、多くの識者が、日本人の学びに対する意欲の減少を心配し、苦々しく思っているのだろう。
これらの著者が憂いている日本人の「劣化現象」は、学びの意欲がほとんどないことである。そして対象としては、明治以降の「教養主義」的な知性を対象にしているものもあれば、グローバル社会で競争に勝つためのビジネスを意識した知識を対象にしているものもある。日本人全体が劣化しているとの主張は、以前出版されてしばしば話題になった
「分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない 」岡部, 西村, 戸瀬 編
とは明らかに対象を異にしている。大学生に限らず日本人全体を対象にしているからである。
私は特に、教師でありながら学ばない人が一番問題であると思っている。そうした人に生徒の指導を任せるわけにはいかない。授業をさせるわけにはいかない。こうした現象を教訓として、私たちの私塾は「学びの中心」でありたい。知性の向上に少しでも寄与したい。テレビの愚劣さとその圧倒的な影響力すなわち広い意味での教育力の前には全てが微力だと思いながら、微力な抵抗を試みたいと願っている。