池谷裕二著「進化しすぎた脳」(BLUE BACKS)を読んだ。「中高生と語る「大脳生理学」の最前線」という副題が付いている。つまり、中学・高校の生徒に対する授業という体裁をとっている。たいへんおもしろく、かなり分厚い本だが、どこもかもおもしろく、最初から最後まで引き込まれて読んだ。少人数ではあるが、生徒を相手とする授業の実況中継という形式である。音声をそのまま、文字にしてある。池谷先生の授業は全く無駄がなく、全てが関連している。無駄話から始まったかなと思うと、とんでもない。その話が重要な伏線になっているのだ。だから、生徒の緊張感が途切れることがない。1時限の中で行われる解説の内容は、たいへん豊富であるが、ときどき上手に復習を入れ、知識の整理をしながら進めるので、脳科学の最先端の高度な知識を扱いながら、飽きさせることがない。途中で投げ出すこともない。対話形式の素晴らしい授業である。たぶん研究者としても立派なのであろう。
この実況中継を読んでいると、先生が授業を行う姿勢の中に、将来、自分と同じ脳科学の研究者を育てるのだという気概が感じられる。所々にそのように明言されている。実際には、中高生の中から本当に脳科学者になる人は、少ないであろう。めったにいないといった方がよい。しかし、先生の姿勢は、将来の脳科学者を育てたいという気持ちがはっきりと伝わってくる。そうした仮定で講義をされているのだ。
そこで思い出すのは、ファインマン先生の物理の授業だ。これも実際の講義が本になっているが、ファインマン物理学の第1巻の第1章には次のように書かれている。
これから述べる講義は、2年課程の講義であるが、学生諸君(読者諸君)が将来物理学者になるものとして話を進めることにする。もちろん実際は必ずしもそうではない。しかし、これは、あらゆる学科のあらゆる教授が仮定することなのだ!
適当な無駄話をしてお茶を濁している先生は大いに反省すべきだ。ぼくもこの姿勢を学ばなければ生徒に申し訳がたたない。「中高生に対する授業であっても、その分野の専門家を育てるつもりで授業を行うべきだ」これをぼくの教訓にしておこう。