今回のテーマは、高校生・大学生までの学生ではなく一般の大人を対象とした話題です。しかし、学生のみなさんも理解してほしいと思います。
人は成長しなければ、すぐに退化し始めます。成長と退化は、しばしば、川の流れに向かって進む船にたとえられます。私たちは、川の流れに逆らって進もうとしているのですが、進むスピードが少しでも遅れると、すぐに下流に流されてしまいます。人間はどこまでも成長できるといいます。しかしそれは、本当に行動を起こし、大きな努力をしている場合です。理想を述べたに過ぎません。停滞はほとんどないようで、退化する人が多いのが現実です。
私が見ていますと、年齢で30代前半くらいまでは少しずつ成長する人が多いようです。しかし、30代後半から40代に入る頃から急激に退化し始める人が少なくありません。その人の弱点や欠点がますます明瞭になり、顕著になって社会生活、特に職業生活に支障をきたすことが起こってきて、退化傾向が明確になるのです。
もっとも、大学なり最終学歴の学校を卒業する時点で、早くも成長の意欲がほとんどなく、それまでに蓄積したわずかな経験と学力だけに頼って、そのあとの長い人生を送ろうとする怠慢な人は結構多いのです。教育関連の仕事では、採用面接時などで、「自分は中学生までは指導できるが、高校生はむりだから、担当は小中学生だけにしたい」と言った志望を出す人が少なくありません。本当に情けない話です。萎縮しているかおびえているのですが、基本にあるのは、「怠慢」です。向上心がほとんど皆無に等しいのです。大学卒業時点の貧弱な学力と経験で、その後の長い人生が送れるはずがないことがどうして分からないのでしょう。
もう一つは、苦手意識から、社内でしなければならない種々の業務から自分がすきな業務だけを選んでするタイプです。いやな仕事は、確信犯としてやりません。しないことを自分で何らかの理由をつけて正当化しているようです。このタイプも「人罪」です。どんな職業でも単機能的な職業はありません。文章を書いたり、社内の人とコミュニケーションを取ったり、または利害が反する社外の人と、厳しい交渉をする仕事もあるでしょうし、創造力を発揮しなければならない仕事もあるし、部下の指導もあります。しかもその部下の指導はたいへん時間とエネルギーを必要とする任務です。会社の社員であれば、新たな業務に着手する必要に迫られることも少なくないでしょう。そうした種々の業務の中で自分が得意と思い、やりやすそうな仕事だけを選んでするタイプです。こうした人も困ったものです。特に、会社などの組織で働く場合は、部下の指導は何より重要な任務の一つです。「自分ならいい仕事ができるけど」といって、部下の指導が苦手かまたは気が弱くできない場合が少なくないようです。部下の指導や教育してやろうという意欲が少ない人が、小・中・高校生の教育に携わること自体大きな矛盾です。そうした人は、その矛盾に気づかないのです。これも典型的だめタイプの人間です。部下の指導ができなければ、教育者とはいえません。
誰でも自分のことはよく分からないものです。分かろうとしないものです。たとえ分かっても、何らかの理由をつけて、自己弁護、つまり自分を正当化して毎日暮らしています。だから、「下愚は移らず」というのでしょう。一方で30代、40代そして50代とどんどん成長していく人もいますが、それほど多くはないようです。こうした人たちは「君子は豹変す」の諺通り、常に成長を続けていきます。ゲーテが「年を取ったら若いときよりたくさんの仕事をすべきである」といった趣旨の格言を述べていますが、そうしなければ急速に退化してしまいますから、その退化を遅らせて、できればさらに成長するために必要だからでしょう。ぼくはそんな風に思っています。この言葉の意味は深いと思います。
キミは、年々、成長していると思う?、それとも退化していると思う?このように、自問してみて下さい。分からなければ、この2~3年の間で自分のどこがどのように「変わった」か、具体的に考えてみて下さい。変わったといえることがなければ、成長していないことになります。その場合は必ず退化しています。停滞は少ないからです。成長しなければ急速に退化してしまうと思って、がんばるのみです。