3月11日、この日は、東日本大震災について言及しないわけにはいきません。 2~3日前に、「たろう観光ホテル」が骨組みだけになっている影像が一瞬だけでしたがテレビに映されました。周囲には建物らしい物は何もないなかに、そのホテルの骨組みだけがぽつんと残っている悲惨な景色でした。3~4階までは骨組みの鉄骨だけが残り、その上の階は外壁が残っていました。
ぼくは若い頃いつだったか忘れましたが、また泊まったホテルの名前も忘れていましたが、その映像を見てそのとき泊まったホテルが、まさに今影像に映されている「たろう観光ホテル」であることを思い出しました。記憶は明確になり、観光船から、パンくずのような餌をまくと、たくさんのカモメが空中でその餌をつかむのを見たことも、ここのことだと記憶が明確になりました。長い間忘れていたことをはっきり思い出し、お土産に売店で「昆布」を買ったのも、たろう観光ホテルであったと思い出しました。テレビのニュース映像は、不思議な縁のよう思いました。
この震災以後、ぼくが考え続けてきたことは、数百年に一度の大震災であっても、避けることができない地震と津波に対して、この風光明媚な海岸線の土地に人が住むことのリスクです。環境が素晴らしく、漁業にも適した土地だから本来は住みやすいはずです。このような場所に、高さ数十メートルの防波堤を築いたら、たとえ技術的に可能であっても、そのような防波堤は、全ての美しさを消し去り、まさに刑務所のような塀に囲まれた土地になってしまい、住む価値がなくなってしまうでしょう。 このまま住み続けるとまたいつか、津波に襲われることは避けられません。それが、自分の次の世代であっても、リスクが高いことを忘れるわけにはいかないでしょう。風光明媚で環境が素晴らしいことの代償だと簡単に割り切ることはできません。この結論は出ないのではないでしょうか。だから国も明確な復興ビジョンが出せないままになっているのではないでしょうか。
若いときに東北旅行で泊まったホテルをいま、インターネットで検索してみました。ネット上では、震災前の美しいホテルが営業中のように、現れました。そのままのようです。 遠方より早い復興を願うだけです。