岩波ジュニア新書「豊かさのゆくえ」(佐和隆光著)によりますと、高校までに何を重視して教えるかという点で日本と米国には大きな違いがあるとして、次のように説明されています。 「アメリカでは高校までの学校教育の目的は、知識を教え込むことではなく、よき社会人としてのマナーをしつけることなのです。社会人として最低限わきまえておかねばならない「常識」を身につけさせることに加えてたとえば人前で話すことや議論をする際の作法などを身につけさせることもまた、学校の重要な課題とされています。」 さらにその後のページで、本当の知識の習得のための勉強は、大学と大学院での教育にあることが強調されています。高校までの教育は、コモンセンスとマナーの指導に重点が置かれているそうです。
こうした相違が生まれる元は、アメリカ合衆国は人種のるつぼと言われ、多種多様な人々、その中には少数民族もいますが、そうした人たちが一つの国として大きな摩擦なく社会生活をおくるために必要だからでしょう。マナーや、コモンセンスが必須と考えられます。一方、日本では言語も一つで単一的な民族と思われているため、その必要性が重視されないためだと思われます。
しかし、その単一的と思われその中で培われてきた常識や行動習慣が、かえっていわばピアプレッシャーとして、一般社会人や高校生を苦しめることがあります。私の身近でも頻繁にそのような小事件に出会います。その小事件が担当教師からぼくに報告されます。ピアプレッシャが高じると、「対人恐怖」的な症状に現れたり、議論が下手でうまく議論ができないで、人間関係を悪くしてしまうことがおこります。高校生に対してそうした教育を腰を据えてすることは、伝統や経験が少なく容易ではないように思われます。実際、ほとんどなされていないのが現実です。そのまま大人になって社会の一員になると、互いにコモンセンスや「共通理解」が共有できず、生きにくくしているように私には思われます。教養が不足しているのです。ここで、3・11の大災害時以後の日本人の賞賛すべき行動については、全く別にこととして理解しなければなりません。
高校生対象にも確かに「ホームルーム」の時間が取られていますが、短時間でもあり、経験が乏しい教師が担当しても、大きな教育効果が期待できないのが現実だと思われます。 ここに、日本の教育改革の根本があると思っています。入試の改革も同様です。高校や大学の入試では次のいくつかのポイントを重視すべきではないでしょうか。集団面接や個人面接を重視する。担任又は地域社会の推薦を重視する。小論文や作文を重視する。などです。そこへ数学・日本語・外国語の基本的な学力を加味して合格者を決めるのが良いと思います。まず誰とでもうまくいくような人間関係が作れることが教養そのものです。その教養を養うのが高校以前の初等中等教育だと思います。
そんなことを思いながら、ぼくは各大学の数学と小論の入試問題の傾向を分析し対応策を考えて指導するといった受験指導に専念しています。