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小中学校の留年制度の是非

大学での進級と卒業認定は厳しくすべき

読書をしない大学生は社会に出すべきでない

橋下大阪市長が検討している小中学生に対する「留年制度」について、議論がされている。一定の年月がたてば必ず自動的に卒業できることが、小・中学校では常識である。それに対して、出席日数の不足や学力が一定レベルに達しない場合は、「原級留置」つまり、留年させようという提言だ。きっかけとなったのは、教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏の新聞に掲載された提言だった。その提言の後、尾木先生自身は、留年に対して否定的な意見を述べているようだ。そんなことをすると、コンプレックスから学校へ登校できなくなる生徒が増えることが予想されることを理由として挙げている。確かに反対意見が多く出されだろう。小中学校で実際に指導に当たっている先生方からすれば、留年を実行することは全く経験がないことであり、とうてい無理と考えるからだ。

新指導要領による指導が開始してまもなく1年になる。指導内容がかなり増加していること、また英語の授業が新たに加わり、指導者の不足など小学校では相当な混乱があるだろう。その上、留年制度を実施すれば大きな摩擦が予想されるから、現場の教師からすれば、「留年というようなたいへんな措置はやめておいて」というのが本音だと思われる。

 

しかし、私は次にあげるいくつかの問題が小中学生の留年制度にはあると思っている。

まず第一に、不登校の問題と学力不振の問題を無視することはできないことである。不登校と学力不振は必ずしも同じではないが、多くの場合セットで考えるべき問題である。不登校は当然、学力不振となるからである。もう一つの問題は、「留年」だけを取り出して議論することは片手落ちだと思われることだ。留年があるなら、当然その逆に「飛び級」の議論もされるべきであろう。プロクルーステースの寝台(Procrustean bed)になっては、子どもがかわいそうである。伸びる力を学校が制限してはいけないことは確かだ。

最近の大学生の学力低下と勉強意欲の低下は本当にびっくりするほどである。特に英語、数学、国語という最も大切な教科に対する勉強意欲は想像以上に減退している。勉強しなければならないという気持ちが全くない学生が少なくないのだ。なぜ勉強しなければならないのか、そこを教えていない。そして、勉強の方法も指導していない。その結果、驚くほどの基礎学力がない大学生が増えているのだ。  「生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること」これをモットーにして、学ぶことを喜びとしてほしいと思う。そのまま実社会へ出ていくと、社会に貢献できないどころかお荷物にしかならない。私は、小学校と中学校に留年制を設けても良いかどうかはよく分からないが、大学の卒業でグンと絞るべきだと思う。勉強しなければ、卒業させない姿勢がほしいと思う。懸命に読書をして学ぼうとする学生以外は卒業させるべきでない。

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2012年03月02日 16:13に投稿されたエントリーのページです。

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