特色選抜A問題の国語第2問は、「大丈夫」という語の使い方についてのエッセイであった。出典は玄田有史の「希望の作り方」である。このエッセイの中で指摘されている「大丈夫」の使い方は、むしろこれまで普通に行われた使用法でいわばオーソドックスな使用法である。
この国語の問題の場合とは異なり、私はこの「大丈夫」という語が妙に変な使われ方をしていると感じている。「だいじょうぶ」という語の使われかたにしばしば、違和感を持つのだ。何でも「大丈夫」と言って済ます人も少なくないように感じられる。大丈夫という語が従来から普通に使われた使用法から、どんどん離れていくように思われる。
例1) 役所などで帳票の記載方法がよく分からず質問する場面
「この書き方でよろしいですか?」という質問に対し、事務員が「はい、だいじょうぶです」と応える場合。 この場合は、「その書き方で結構です」とか、「よろしいです」という意味である。こうした場合に「だいじょうぶ」といわれると、問題がないことを強調されすぎているように感じられる。
例2) 「こののこぎり使ってもだいじょうぶですか?」と使用許可を求める場合
この表現は、普通は「こののこぎりを使ってもいいですか?」と聴くのが普通である。許可を求めている場合である。あえて「だいじょうぶ」といわれると、「壊れていないだろうか、使用しても事故が起こってケガをしないだろうか」といった意味が強調されるように思われる。
例3) CDの売り場で、お客と店員との会話
「このCDも視聴されますか?」と店員がお客に聞いたのに対し、お客が「いいえ、だいじょうぶです」と応える場合。この客の返事はわかりにくいが、「その必要はありません」という意味であると思われる。極めて回りくどい表現である。もっと素直な表現があるだろうと思われる。
確かに言葉は生き物で変化していくのが普通だ。しかし、その経過中は違和感をもたざるを得ない。「だいじょうぶ」と簡単にいってしまうと、語い力の不足かまたは怠慢な性格の表れという印象を与える。表現が単調になるのを避けるためにも、「だいじょうぶ」を連発しないで、工夫すべきと思う。