高校普通科では広範な選択制がとられている。その結果、物理の履修者は2割程度に落ちていることは、昨日のブログでも書いた。選択制がとられている理由は、「自由な個性」を伸ばすということにあると説明されている。しかし、勉強する前から、物理はおもしろくないとか、自分には必要がないと、どうしていえるのだろうか。おもしろいかどうかや自分に合うかどうかは、その勉強をある程度やってみないと分からないことである。
実際には、物理ほどワクワクするような教科はないのではないかとぼくは思っている。物理は「スター教科」だといえるのではないだろうか。もっとも、物理のおもしろさが少しでも分かるためには、優れた先生に出会ることが条件である。実際、ぼくが高校生の時の物理の先生はたいへん素晴らしい先生で、授業は「物理漫才」と先生自らが自称するほどおもしろかった。
学習塾は、公的な学費の補助が全くなく、全て保護者の負担で運営されている。だから、授業料の関係から、カリキュラムや受講科目を生徒の選択制にする必要がしばしば生まれる。やむを得ないことである。しかし、公教育においてはそんな心配は不要である。本来、カリキュラムや指導教科は生徒が自由に選択する性質のものではない。身につけさせるべき教科やカリキュラムは、指導する側が熟考の上決定すべき性質のものである。学習塾でもそうしたいのであるが、授業料を抑えるために、やむなく選択制にすることがあるのが現状である。
高校生における物理やハイレベル数学の履修率の減少傾向が続けば、その結果として理数系の優れた先生が不足することになるだろう。理数系の優れた先生が不足すれば、高校の全体的な理数系離れが一層加速することになる。その結果、物理や理系数学を選択する生徒がさらに一層減少するという負のスパイラルに陥るのではないか、いやすでにそれが現実になっているのではないかと危惧している。実際、我々の学園が運営する「桃李国際高等学院」の教師募集で、いい先生の採用にもっとも苦労したのが、理科と数学の教師であった。