昨日は、新入教師の入社式を行い、ぼくは訓示として「自己変革」の話を中心に、ビジネスの基本やビジネスの常識について話した。
新しい教師を迎えることはうれしいことだが、「伸びる教師」かまたは「伸びない教師」かは、すこし見てみないと分からない。伸びない教師の典型は、自己変革が全くできない人である。「自分を変える」ことは確かに誰にとっても簡単ではない。そのためには相当な努力が必要だ。中でも「態度」が変えられない人は、最低である。人から名を呼ばれたときの返答や、人にあったときの挨拶など、毎日頻繁に行っている普段の行動や態度が変えられない。声の出しが小さくメリハリがないなどと指摘しても、殆ど変わらない人がいる。
以前、中途で入社面接した50代の男性は、極めて「悪筆」であった。本人もそのことは認識していて、決していいこととは思っていなかった。教師としては黒板の板書や保護者への通信など手書きの文字があまりに汚いことは、教師らしくない。そこで、研修として「ひらがな」のペン習字のテキストで練習させた。小学生用の教材である。しかしながら、それまで50年以上慣れた書き方を変えることは、50を超えた初老には、やはり困難であった。これが、プライドを傷つけたのか、彼は初任者研修の途中で研修を放棄して正式には入社しなかった。
ところで、人間の生きる意味などと問題を大きくして考えることがある。人生には何か意味があるのだろうか。あればどんなことかという、永遠のテーマである。ぼくは普段は、かなり虚無的に思っている。生きていればときどき楽しいことがあるが、それが生きる意味かなというくらいだ。しかし、一方でぼくは極めて健全に、「自己実現」を目指して努力もしている。この「自己実現」が人生の意味だとすれば、自己変革しない人やできない人は、その意味での人生の意味もないことになる。これ以上むなしいことはない。それでは、かわいそうすぎると思う。