ぼくがたぶん高校生の頃、国語の試験で解答に迷って未だに疑問として思い続けている問題がある。いつまで考えても正解が分からない。その問題とは室生犀星の詩についての問題である。中学や高校の国語のテストなどで何度も出題された有名な問題だから、知らない方が変といわれるかも知れないが、この詩で作者はどこにいるか、また「みやこ」はどこを指すかという問題である。
小景異情(しょうけいいじょう) 室生犀星
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひて涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
問題
この詩の語り手はどこにいるか。またそれはなぜか。
この問題について、学習参考書に取り上げられてあるのを見つけた。その解説を見て、これは正解がない問題だということを知った。一つの正解があると思っていたことがかえって恥ずかしく思った。詩自体が曖昧なのだから、いくつかの説があるのが当然なのだ。その学習参考書で見ると以下のように説明されている。
「都」説
この説が多いかも知れないと説明されてある。
根拠は、
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
「ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひて涙ぐむ」
でしょう。
「ふるさと」説
これは少数派だそうです。
こちらの根拠は
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
「帰るところにあるまじや」
になるでしょうか。
ぼくはこの解説を読んでも、曖昧さは消えなかったが、どちらかといえば、少数派の「ふるさと」説の方が妥当なような気がする。 国語にも正解がない問題がちゃんとあるということの方が衝撃的だ。「根拠」と共に説得力が評価されるのだろう。いい問題だと思う。中高生のみなさん、考えてみよう。