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保護者と教師は、腰が引けている

自分の価値観を伝えるに躊躇してはいけない

中学生の保護者の方々と進路相談をしていると、「うちでは、全て子どもに任せてありますから」と、言われる場合がある。「中学生ともなれば、自分の進路について自分で考えることができ、その責任も自分でとれるはずだから、自分で決めなさい」保護者の方の気持ちを推測すると、そういったお気持ちであろう。また、実際、子どもに意見してもなかなか聞いてくれないから、無駄だというややあきらめの気持ちもあるかも知れない。

自主性を重んじたいという気持ちは大切である。しかし、重要な決断をしなければならないときに、本当に子どもに判断を任せることが最善であろうか。そもそも、保護者の方々もそのように本心から考えておられるのであろうか。保護者の気持ちも本音では、全く違っているとぼくは思っている。

私自身も、私が子どもの頃にこんなアドバイスがほしかった、と大人になってから思うことがいくつかあった。子どもの頃だけでなく、22歳くらいまで進路については親か誰かのアドバイスがあればよかったなという一種の後悔がある。やや恥ずかしいが、具体的に言うと、子どもの頃の楽器の練習である。子どもの頃から何かやっておけばよかったとその後、後悔が残った。もう一つは、具体的には省くけれども、大人になってからのことだ。こうした私自身の経験を考えると、私は子どもが実際に22歳前後まで、親は自分の経験を元に種々のアドバイスをすべきだと思っている。

教育をする立場の人間には、親や学校教師や塾の教師があって、直接その責任を負っている。しかし、現状を見てみると教育をする立場のものが、腰が引けてしまっているように思われる。勇気が無いのか、事なかれ主義に陥ったか、それとも単なる怠慢か、問題が起こらないことを最優先にしている。以前は地域住民まで子どもを指導する人に含まれていた。特に、しつけでは実際にそうであった。直接に教育をになう親と教師がそんな状況である。意見を言うことは価値観を押しつけることなり、押しつけはよくないという躊躇があるのかも知れない。「価値観を押しつける」というと、確かに行き過ぎのようなニュアンスを感じるが、「価値観を伝えて後悔させないようにする」と考えればいいのではないだろうか。実際私は22歳頃まで、種々のアドバイスがほしかったのだが、みなさんはどうでしたでしょうか?だから私は、若い人がそれくらいの時期になるまで、遠慮無く意見をしていきたいと思っている。

ぼくは、同様なことを以前から何度も書いたり話したりしてきたが、最近また同様な感想を持つような出来事があり、繰り返して述べる必要を感じた。

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2011年10月22日 16:15に投稿されたエントリーのページです。

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