日本舞踊の発表会を見た。鏡獅子、峠の万歳、初桜道成寺など。古典の日本舞踊が中心で、日本舞踊の古典の世界は、毎日の生活から離れて世の中の流れがどうなってもかまわない、という気分にさせてくれる。別世界へすこし連れて行ってくれる気がする。ここが古典のいいところだ。
ぼくの生活を考えると、大きく分けて3つの世界がある。経済が優先して、熾烈な競争をしている世界。そこからすこし離れて、必ずしも競争だけでは割り切れない世界。そして3つめに、世の中がどうなってもかまわないと思わせる世界だ。日本舞踊はこの世界に属する。教育は上の3つとは次元が全く異なる気がする。座標軸が別と言ってもよいが、これを加えると4つの世界ということになる。
「峠の万歳」では、万歳の太夫と才蔵が別れの酒を酌み交わすところで観客は感動するのだ。
「正月もすぎて淋しき片田舎 三河へ帰る万歳をここまで送る才蔵が気のむすぼれも鶯の きょう読む声にまぎらせていつか峠の茶屋の前 …… また来年に逢ふまでの 約束がわりの盃と梅の木陰でくみかわす」
この、別れの酒を酌み交わすところがクライマックスだ。
ぼくは、お酒をほとんど飲まないので、こうした感情の共感が十分に持てず空想のものになってしまう。残念なことだと思う。きっと、酒好きのオマル・ハイヤームが、酒に期待するところと同じだったのだろうか。