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ぼくは、読書感想文に対しては、反対の立場です

ぼくは、読書感想文に対しては、反対の立場です

小学校・中学校で行われている作文練習としては、読書感想文を生徒に書かせることが少なくない。この「読書感動文」については、賛否両論ある。コンテストなどのように優秀者を見つけてランク付けし、表彰しようといった場合は、一定の課題図書を決めてその読書感動文を書かせるのが普通だ。全くの自由作文では評価がむずかしいためである。社団法人の「全国学習塾協会」が主催の読書感想文コンテストもそうした体制で行われている。

ぼくは、特に小学生のうちは、自由文題の作文がよいと思っている。従って、読書感想文反対派に属する。自由作文としてフィクションつまり物語を小学生に書かせることもたいへんよいことだと思っている。

一方、大学入試の小論文は、課題文に対して設問を設けるタイプが多い。これは、短いけれども一種の読書感想文的な出題形式といえる。これにたいして、少数であるが、「テーマ型」つまりかなり自由に書ける小論文試験もある。課題文形式が普通だということは、評価を相対的に分かりやすくするために取っていることであろう。

これに対して、当塾が運営する通信制高校のサポート校(桃李国際高等学院)の入試選考として、自由文題の作文を課している。相対評価など必要ないからだ。本来、高校入試や大学入試としても自由作文の方が優れた形式であろう。評価する側が、評価する能力を有していることが条件である。

小学生に「物語」をつくらせることにも夢がある。物語を含めて、身近な家族のことや飼っている犬や猫のこと、今日の食事で何を食べたか、どんなテレビ番組が好きで見たか、などから自由に作文の文題を選ぶことができれば、小学生は進んで作文を書くだろう。これが、小・中学生に作文を書くことを好きにさせる最も重要な条件ではないだろうか。これに対して、「読書感動文」を書かせようとすると、読解力がまだ不十分な生徒の場合、作文を書くこと自体嫌いにさせかねない。危険が多いように思う。

当塾の小学生対象の国語の授業でも、作文を時々取り入れている。ぼくも生徒の書く作文をもっと頻繁に添削してあげたいと思っている。いいところをいっぱい見つけて褒めてあげたい。教師は、子どもの作文を読んで優れたところをいくつ見つけられるかが問われるのだ。今後その機会をグンと増やす計画をしている。

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2011年09月16日 13:29に投稿されたエントリーのページです。

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