「英語使う仕事がしたい」という希望を、大卒予定者などとの就職面接時にしばしば聞く。英語を使う仕事と言っても、仕事が絞りきれるものではなく、千差万別の仕事がある。その利用の仕方もまた限りない。仕事として、「教師」を選ぶ際に、英語の教師が「英語を使う仕事」の一つだからという理由で、選択する人が少なくない。また、教師の仕事は誰でもできるように一見思えることもあるかも知れない。しかし、これは本末転倒と言わざるを得ない。
確かに英語を教えることも、英語を利用する仕事の一つであることには間違いない。英語を教えようとすれば、英語の力が大切であることは当然だからだ。しかし、講師のとしての人気、実際の指導力、生徒への影響力となると、むしろ教える教科が何の科目であるかと言うことより、その教師の全人格やキャラクターの方が圧倒的に重要である。しゃべり方や生徒一人ひとりを思う心の方がクリティカルなのだ。
言い換えれば、優れた教師は、「英語」を教えようが、「社会」を教えようが、「数学」を教えようが、教える教科にほとんど関係なく人気講師であり、指導力がある。そうした先生は、生徒に慕われ続け、卒業後まで思われ続けるのだ。そういう意味で教師とは、たいへんな仕事である。本当に優れた先生は、実はかなり得難いと言わざるを得ない。4年制大学を卒業した22歳か23歳の人を簡単な試験と面接で選べるようなものではない。
生徒とのいい関係を築けるコミュニケーション力、うまい質問をして生徒の力を引き出していく力、授業を盛り上げ、生徒をのせることができる授業構成力など求められる力は多方面におよぶ。日々、授業の改善を行う努力家であることも必要だ。また、自分があらゆることを猛勉強し続けている人でないと、生徒に勉強のおもしろさや読書の楽しさを伝えることはできない。さらに、教師の持つべき資質として必要だと私が思っている条件は、文系か理系かいう差を強調するのではなく、興味関心を持つ領域が極めて広いことである。これは、高校生以下の若い人の指導においては、生徒に広い関心を持たせることが重要だからだ。いわば、自分は「文理系」だという人が先生に向いているのではないだろうか。そんな先生はますます得難いことは十分理解しているけれども。