今日の朝日新聞ニュースで、教科書採択について次のように伝えている。「沖縄県八重山地区の石垣市、竹富町、与那国町は8日、3市町の全教育委員13人で臨時総会を開き、(来春から中学で使用する教科書について)「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の採択を撤回し、東京書籍版の採択で一本化することを多数決で決めた。石垣市や与那国町はすでに育鵬社版を採択しており、同一地区内で結論が割れる異例の事態になった。」
教科書の採択についてのこれまでの種々の変遷を経てきた。 第二次大戦終戦後、それまで行われていた「国定教科書制度」が廃止され、1949年に「教科書検定制度」へ転換した。1962年までは各学校に教科書の採択権があり、各学校の先生が各教科書を調査と比較した上で使用教科書を選択していた。だから、ぼくらが公立の中学生だった頃までは、それぞれの中学校で教科書を採択していたのだ。
それが、1963年に「教科書無償制度」が行われることになり、「教科書無償措置法」の規定にしたがって、教科書採択の権限は教育委員会へと移ることになった。だから現在では、各市町村等の地域(教科用図書採択地域)で使用する教科書を採択する権限は、各都道府県教育委員会にある。
私は、1962年以前のように教科書の採択権限を各中学に戻すべきだと思っている。この権限を都道府県教育委員会に移した理由はよく分からない。単なる便宜上の理由なのか、無償だから金額的に統一する必要がることが理由なのか。それとも各中学の先生方の能力を低く見たためであろうか?
私には学校ごとに種々の教科書が使用されている姿の方が、より進歩した形のように見える。それが、教科書無償制度に反する点があるとすれば、国が補填する金額のみを統一すれば済むことだろう。
さらに私は、教科書の検定制度にも反対である。教科書の検定などするから、隣国との関係に問題が起こるのだ。教科書を出版会社の責任で自由に作成し、そしてそれを各中学高校が自由に採択する制度であれば、アジアの隣国との関係が格段に良くなるだろう。さらに、教科書にも市場原理が働いて、教科書自体のレベルも上がるだろう。
その点、塾や私立学校は自由だ。自分で理想とする教科書の作成も可能である。実際、私は今、小学生の国語力をしっかり付けるために最も適した教材をつくろうとしている。子ども達の学力が極めて危ういからだ。声に出して読む音読や、すばらしい文章の暗唱、さらに辞書を引くことになれるための種々の教材、これらの教材を懸命につくっている。これが、「桃李小学校メソッド」だ。努力のし甲斐があると感じている。