ぼくは、漱石の全集や単行本は何冊も持っている。その中には初版本の復刻版もある。「わが輩は猫である」など読みたくなる度に本屋で買ってくるため、きっと本棚を探せば数冊はあるだろう。漱石の初版本や、全集の一部のものは、旧仮名使いで漢字も古い書体のままだ。
漱石の自筆原稿の写真を見ると、全ての漢字のルビを漱石自身が振っている。虞美人草以後の著作は全て朝日新聞の新聞小説であるから、新聞社の方針もあるだろうが、明治には全ての漢字にルビを振るのが普通だったのだろう。この習慣が無くなったのはいつ頃からだろうか。
現在では新聞も本も、原則的にルビは一切振られていない。ルビを振らなければ読めないような漢字は、ひらがなにしてしまえばよいという発想なのだ。総ルビが振られていたのは第2次大戦以前のようだ。ルビを振る習慣は江戸時代から始まった。一般庶民の教養レベルが低かったために必要であったためだ。
これが無くなったのはどうしてだろうか。理由は簡単なようだ。印刷物を活字で作成する場合、総てにルビを振る作業は、印刷所にとってたいへんだったことが主な理由のようだ。ルビ振りの専門家まで必要なほどだったようだ。また、総ルビが戦後、徹底的に廃止されたのは、山本有三の発言による。山本有三が、ルビが見た目には、「黒い虫の行列」のようで不愉快だと発現したためだそうだ。
しかし、現在はルビ振りはかなり機械的にできる。パソコンのワープロ機能にあるからだ。印刷も容易だろう。チェックは人間が目で行わないと、コンピューターに任せきるわけにはいかないが、かなり精度よくルビ振りは機械化できている。その点、PCに翻訳をさせる機械翻訳とは全く異なるのだ。手間はほとんどかからない。
ルビが振れていることの効用は特に学童期の子どもにとって極めて大きい。ぼくは、子ども達の文章読解力の低下、そして大人の文字離れ、読書習慣が付かないこと、さらに勉強を全くしない大人が増えたことの一因は、ルビが消えたことにあると思っている。
小学生から中学生の時期に読書習慣を付け、文章の読解力を付けさすことが、教育上、最も大切だ。そのため、ぼくの提言として、「総ルビのついた新聞や本をグンと増やして下さい」とお願いしたい。そうすれば、子どもの本離れが減少し、文章に親しみまた読書習慣が付いて勉強を続ける大人が増えるに違いないと思う。