養老孟司先生は、「バカの壁」で『「話せば分かる」なんて大うそ!』とセンセーショナルに述べた。僕もこの本を読んだときは、少々影響されすぎたと今では思っている。先生がこの本で主張されていることの一部のエッセンスは、次のようなことだと理解している。
そもそも人間は、自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種である。これは一見分かりやすい。関心のないことは、一瞬に耳をふさぎ聞かなくなってしまうことはだれにもあるからだ。そして、その延長線上には民族間の戦争やテロがあると主張されている。
先生の主張には、基本的に真実が含まれているに違いない。200万部も売れて受け入れられたこともその証拠であろう。実際この本は大きな影響を及ぼした。
しかし、「話しても分からない」と簡単に結論付けてしまっていいわけはないだろう。僕らが毎日打ち込んでいる小学生や中学生に対する基礎教育は、言葉の力を信じて行っていることだ。「百聞は一見にしかず」ということわざもある。時には自分が経験したにも関わらす、その真の意味を自分自身で理解できず、人から聞いて真の意味を理解することだってあるのだ。
言葉なんか信用できないとか、どうせ伝わらないと言うのではなく、「言葉で相当伝わる」と考えるべきだ。伝わらないことがあれば、まず伝える側の伝える技術が不足しているか、時期が悪いか、または繰り返しが不足していると考えるべきだ。齋藤孝先生が著書「教育力」の中で述べておられるように、「言葉の力を大切にする態度を伝えること自体が先生の役割」である。そう思うと養老先生は、真理のある一面のみをオーバーにかつセンセーショナルにおっしゃたと理解すればいいのだと思う。
やはり、「話せば分かる」と信じて、情熱を持って、時には繰り返し話す意欲を持って、子ども達とは接しなければならない。その上我々自身の「伝える技術」を向上させなければならない。