ぼくが、英語の教科書「Jack and Betty」の復刻版を入手してすぐに、作家の清水義範氏の書いた「永遠のジャックアンドべティ」という本があることを知った。復刻版の付録に解説があったからだ。ぼくはすぐにインターネットで注文した。その本が届いたので少々ワクワクしながら読んだ。最近は本の注文と入手が本当に楽になった。
しかし、その内容は、ぼくの思惑とは全く異なるものであった。さすが作家だとも感じたが、期待するものとは全く違っていた。これは、ジャックとベティが50代の初老になってから再会するときの、おかしな短編小説であった。二人とも中学時代に戻ったような、精神年齢が10代に戻ったような、変なしゃべり方をしている。そこがおもしろいのであるが、ぼくはそんなことにはあまり関心がない。要するに、どこに「おもしろさ」を見つけるかの差だと思った。
「これはペンです」、「ぼくはジャックです」、「私はベティです」、「ベティスミスです」こんな調子で小説ができ上がっている。小説といえば、何でもありで何でもよいのだとこの本から学んだ。ぼくが期待しているものとは全く違っていたが、学ぶ点もある。
小5か小6の時、親戚のおじさんからぼくが始めて英語を学んだ時のことをはかなり明確に覚えている。特に「スミス」の発音は強烈な印象を与えた。「ミ」にアクセントがあり、ミだけをやけに強く発音すること。「ス」は日本語にはない[th]の音でこれをさんざん練習させられた。舌を上と下の歯の間からちょっと出して、息を結構強く出す。おじさんは、黒板に口の断面図を描いて説明してくれた。そのやり方は、ぼくが英語の先生の練習授業等で指導するときに今でも同じ方法をとっている。同じように口の断面の絵を描いて、舌を歯の間から出すことを説明する。実際に同じことを今でもやっているのだ。
清水義範氏がこの短編を書いてからまた20年以上たった。そうすると、ジャックとベティは、生きていれば70代後半か80歳くらいになっている。いま、またこの二人が偶然どっかで出会って、また喫茶店に入ってお茶でも飲もうということになったら、どんな会話になるんだろうか。やはり、精神的にはローティーンに戻って、再び「これはテーブルです」、「テーブルの上に一本のペンがあります」とでもいうのであろうか。