以前、小論文の授業で、「反社会的」と「反体制的」という言葉の区別が付かない生徒がいて、説明したことがあった。高校生には差は曖昧なのだろうか。私は以前から、戦国時代の武将達たとえば織田信長や徳川家康と、現在の反社会的集団すなわち暴力団の親分との区別をどうしたら明確に説明できるか考えることがあった。その差は明確であって、そんな疑問を持つ人は誰もいないようだ。しかし、ぼくには曖昧な部分も多いように思われる。全ての上に、「国家」というしっかりした体制があるかないかの違いが決定的なのだろうか。
私たちの塾を考えると、実際にこれまで、そうした反社会的集団と呼ばれる集団の構成員の子どもが塾生として入塾してくることは、何人かあったと思われる。いちいち各家庭のことを調べないので分からないが、全く無かったとは断定することは困難だ。
今日は朝から、暴力団との関係が理由で島田紳助氏の芸能界を引退するというニュースが伝わり、テレビのどの局も大きく扱っていた。 しかし、暴力団関係者とはまったく無関係ではすまない場合があることは想像に難くない。特に近隣にそうした家がある場合などだ。どこまでなら許されるかという問題だ。我々の場合は上記のように、その子どもが生徒として入学してくる場合だ。また、暴力団とはいえ普通の生活人としての側面がある。町内会とか、生徒会とか、地域の一員としても通常の地域の人としての側面が無いわけではないだろう。そんな場合、普通に一緒に写真を撮ったりすることはあり得るのではないだろうか。 関係の持ち方の超えてはいけない領域に一線を画することがむずかしいときはないのであろうか。当塾にかって英国から来ていたある英語教師が、スイミングがしたいとプールがある付近のスポーツジムへ入会を申し込んだところ、腕に小さな入れ墨があることを理由に入会を断られた。 暴力行為を許さないという基本は大切だ。しかし、一律どんなタトゥーでも一切断るという姿勢は行き過ぎではないだろうか。実際この英国人教師は典型的な英国紳士であった。彼が、現在はもちろん将来にわたって、暴力や脅迫を用いるような人ではないことはすぐに分かった。ぼくも一緒に腹がたった。彼は、そのスポーツジムの前を車で通る度に、ここのスポーツジムにはがっかりしたといっていた。 これまでは、たぶん塾生の中にはそうした関係者の子供を預かることはあっただろうが、そんなことが問題になることもなく、僕らも何も知らないで済んでしまっている。