最近、私は、何校か私立高校の学校説明会へ参加しました。いずれも岐阜県下ですばらしい実績と歴史を持つ私立高校です。 学校説明会では、次年度の募集要項等の変更点の説明が中心なのですが、学校説明の中心は進学実績でした。高等学校がまず第一義的に大学受験勉強の期間と位置づけらがちなことは、私立高校は公立高校以上に、生徒確保という問題がありますから、当然だとは思いますが、高校時代は単なる大学への移行期間に過ぎないのでは、残念な気がすることは否めません。
大学は、かっては1年と2年を「教養課程」と称して、一般教養を学習していました。私の大学生時代は、「教養課程」では、理学部や工学部の学生にも、「史学通論」やの「日本の古典文学」などいわゆる文系教科の講義が行われました。高校生の時代と同じような科目が並んでいました。内容がやや高度になるだけでした。
ところがやがて専門課程で学習する内容が増加してきたため、教養時代はなくなってしまいました。その変化は私立大学から始まり、1年生から専門科目を学習するようになってきました。教養課程と専門課程の区別がなくなってしまいました。
そうなりますと、一般教養を学ぶのは高校時代のみとなってしまいます。将来、法律や経済に進む学生にも、数学や物理の基礎を学び、また理学部や工学部、農学部で学ぶ学生に、文学や歴史など学ぶ機会は高校時代しかなくなってしまっています。
だから一層高校時代にじっくりとあらゆる教科を学ぶことが重要だと考えています。将来役に立つからです。「ロマンチック・アイロニー」という言葉が、夏目漱石の「三四郎」の中に書かれています。「三四郎」という小説は、ロマンチック・アイロニーそのものといえるかもしれません。僕の一番好きな言葉の一つです。高校時代は余裕があるのが理想です。そのぶらぶらしているともいえる余裕のことをロマンティックアイロニーというのです。 高校時代は一生でも一番良い時期の一つです。この時期こそ大学準備だけでなく、広く教養を身につけてほしいと思います。そして一方で集中して受験勉強をする、それが私の理想とする高校時代です。