中高生や受験生を対象に、私は、英語や数学の勉強法を何度も説明していますが、その中で私の勧める数学の勉強法は、「暗記数学」と一般に言われる方法です。そうした勉強法は、中学生や高校生の指導をしていて、定義や定理または公式に導き方などについてほとんど覚えていないし、理解もしていない生徒が少なくないことが主な理由です。「まず、しっかり書いて暗記しなさい」と指導するには理由があるのです。さらに、「入試問題を問題と解法をセットで覚えてしまえ」と指導しています。
しかし、暗記数学を勧める度にぼく自身疑問が全くないわけではありませんでした。そんな勉強法は、本格的に数学を利用している人や、研究している人から見れば、とんでもないと指摘されるのではないかという疑問です。
そのため、数学を受験のためだけでなく、研究または利用しようという場合の勉強法とはどこか違いがあるか、また著名な数学者は学生時代にどのように勉強したのかについて調べてみました。数人の日本の大数学者について、自伝やエッセイから学生時代にどのように勉強されたか、知りたいと思って数冊の本を読みました。
その結果、結論的には、勉強の最初の方法は受験勉強と大差はないと思っています。たとえば、広中平祐氏の「生きること学ぶこと」では、広中先生も受験勉強は熱心にしたことがわかります。そのように書かれています。しかし、違いがあるとすれば次の点です。 難解な問題を1週間でも2週間でも考え続けることができることです。そうした集中力と情熱を持っていることです。 また、彌永昌吉先生の「数学者の20世紀」を読みましても同様な印象を持ちます。これらの先生は天才的な先生ですから、特別かも知れませんが、二人とも特に学生時代は「平面幾何学」の難しい問題を考えることが好きで、熱中されたことが分かります。
受験勉強では、10分も考えて分からなければ、すぐ「解答」を見て後は理解して覚えておけば済んでしまいますから、確かに自分で解いたときの感動などほとんど何もありません。ここが違うようです。世界的な数学者は、問題を自分で考えて解けたときの喜びを繰り返し繰り返し何度も体験されているのです。学者になる前の学生時代から、その喜びが繰り返し体験できて、やがて自分が解くべき問題すなわちテーマを創造する力になっていったように思います。
また、高木貞治先生は、日本が産んだ最初の世界的な代数学者ですが、こんな偉い先生が、私が住んでいる本巣市の糸貫町で生まれていますから、この先生の自伝についてはもっと詳しく調べたいと思っています。